2001/02/15 (thu)
同情と共感 本当の意味での理解って言うのはきっと同じ体験をした人にしかできないものだ。全く同じ体験なんてモノは存在しない。同じ映画を観てもそれぞれ感じ方が違うように。でも良く似た体験はたくさんあると思う。それで十分だ。楽しいことは理解しあう必要はあまりないと思う。解り合う必要があるのは痛みや悲しみだ。同情ではなく共感が必要だ。それが本当の理解なのかという事は確認は出来ないけれど。多分自分の心の底に当たった感触があればそこがきっと納得と言うか、ゴールみたいな物なんだと思う。先の見えないことでもどこかに出口はある。探さなくてはみつからない。 2001/02/14 (wed) アンチ・バレンタイン派(笑) 別に言う事は無いです(泣)。ちなみにアンチ・ホワイトデー、アンチ・クリスマス派でもあります。ここ2年位、、。ファッキンチョコレート!くっそーー北方領土返せー(関係なし)。 2001/02/12 (mon) 無意識 何かを批判しようとすれば、それは簡単な事。その批判に対して無責任であれるならの話だけれど。批判に対してに限らず自分の口から出る言葉や行動にはある程度の責任は持たなくてはならないって思う。法律で裁かれるようなことはここでは関係なくて普段のありふれた生活の中にある、今迄は気にとめる事無く何となく過ごした時間の中でどれだけ無意識に人を傷つけたんだろうと思うとゾッとする。無意識にしてしまっている事というのは、意識的に悪意を持って吐いた毒や向けた刃よりもしかすると罪深いのかもしれないって思う。そんなこと気にしてたら何にもできないっていわれるだろうし、キリが無いっていってしまえばそれまでだけど、誰かが自分の無意識の行動や言葉で傷ついているのに気づかないってことは、人が傷つくようなことに関心を払っていないって事だし、そこに関心を払えない人間はダメだと思うんだ。見ないフリはもっとダメかもしれない。全ての人が全ての人の痛みを知るってことは無理だし、お前は偽善者だっていわれたら返す言葉はないけれど、どんどん鈍感になっていくより、少しずつ誰かの痛みをわかるようになりたいって思う。鈍くなっていく事が強くなる事じゃないって思うし。 2001/02/10 (sat) 死んでしまう時は 死んでしまう時は、何かの為に死ねたって思いながら死にたいな。思いながらでなくても死んでからああ自分はこのために命を使えたなって思えればいい。カッコよく死にたいって訳じゃなくて、自己満足だけで構わない、あとできれば家族以外に誰か一人くらい本当に泣いてくれたら文句なし。涙を流すのが泣くって事じゃない。そこのところ勘違いしない人に泣いて欲しい、葬式なんかやっていらない。どうしてもやるなら遺影はナシで。よく最後に顔見てやってって棺おけの中見せるでしょ。あれも冗談じゃない。代わりにダッチワイフ入れとくくらいの笑いなら欲しい。体のパーツは何をあげても構わないけど、解剖の実験台だけはカンベンしてほしい。死んでからいろんな人に見られたくないから。さらし者にはなりたくないじゃん。できれば自分の葬式を自分で仕切りたいな(笑)。死に方はできれば即死でお願いします。事故死でもいいけど自己死はイヤだな。凍死はヤダ。寒いのはイヤだ。そんなところかな。 2001/02/09 (fri) 冬の花火2 この町には冬祭りがある。札幌の雪祭りよりは規模は小さいけれど毎年札幌よりデカイ雪像が作られる。それはきっと札幌の大通りよりスペースが広いからだ(笑)そんなことはどうでもいいんだけど、その祭りの一環として昨日花火があげられた。会場から比較的近くに住んでいるのでかなりデカイ音が聞こえるからすぐわかった。長い間記憶の中にあったあの花火とは違って見えた。でも空には満月に限りなく近い月があって空も澄んでいたのでとてもキレイに見えた。花火はほんの五分くらいで終わったけれど、その後しばらく月のウサギに見とれてしまうほどはっきり月の表面が見えた。月明かりがかなり明るかったから花火の魅力は半減しただろうけど花火目当てで空を見た人達もかなりの確率で月に見とれただろうと思う。それ位月が大きくて明るかった。何かが変わる気がする。ワォーーーン(遠吠え)。 2001/02/08 (thu) 進歩 昔からそう感じているんだけれど何かわかる時とか何かが上達する時は、徐々に少しずつじゃなくある程度ずつバンって変わっていく気がする。ギターを弾いていても昨日まで、できなかったことが今日は急に出来てるとかずっとわからなかったことがピンと来てわかってしまうとか。そんな風に人間としての進歩というか大人になっていくというかそんなのもそう感じる。何かに納得がいくようになる事とか急にバンって変わってしまう事がある。ハイロウズのヒロトがブルーハーツ最後のアルバムの中の「歩く花」の中で『覚えたり教えられたり勉強したりするんじゃなくて、ある日突然ピンときてだんだんわかることがある』って言ってるのと全く同じ感覚。何かが根底から変わってしまうような重要な事ではなくてその先にある先端の部分の感覚が変わる感じ。そんな感じを今自分の中で実感している所。なんだかやっとトンネルの先に光が見えた感じ。後は光を目指して進んでみる。出た場所に何があるのかはわからないけれどトンネルの中よりは視野が広がるだろうし、明るいはずだと思う。 2001/02/06 (tue) 結婚式 以前話した中学校の同級生から結婚式の招待状が届いた。漢字が間違っていたけど一応届いた(笑)昔から良く間違われるし間違われる原因もわかってるから別になんとも思わないけど。きっと出席はしないと思うけれど、ヘタに出席する奴よりおめでとうって思ってる。こうやってどんどん友達を無くしていくのかな。いつもなんだか浮いた存在になってしまうから、居心地悪いんだよね。 でも本当はみんなに会いたいなって気持ちもある、でも今回は遠慮しとく予定。自分の結婚式は多分行われる事はないと思うけど、もしあったとしても呼ぶ友達がいないな(笑)というか全てが足りないのか、、(泣)。昔、友達は大切にしなよって言われた事があるけど、いろんな事のバランスを上手くとって彼女も、友達も家族も大切にする事は難しい事だと感じました。とりあえず家族は大切に出来てると思う。自惚れだろうけど。話がそれたけれど、その友達の母親とうちの母親が仲がいいので母親は出るみたい。急な話だったで式は仏滅に行われるそうです。そんな事はきっと関係ないけど、参考までに(意味なし)。 誕生日とかクリスマスとかそういうイベントみたいなのって苦手なので、自分でも面白くない奴だなって思う。でもそれなりの理由もある。相手にとっては関係ないことだから皆さんはイベントは大切にしてください。物事は形が大切なのだ。結局中身なんか無くても思い出、思い出。そうでしょ。 2001/02/05 (mon) 月 人はなんで夜寝るか知ってる?月光というのは人を正直にさせたり、繊細にさせたり、敏感にさせるからなんだよ。正直や繊細や敏感はこの世の中を生きていくには武器にはあまりならない。太陽の熱や光は、多少の事はごまかしてくれる。夜幽霊を見やすいのは五感や第六感が鋭くなってるから。夕食が一番豪華なのは一番敏感な時に一番おいしい物を食べたいから。狼男やドラキュラが本性をあらわすのも夜。人間も同じ。打ち明け話は夜するでしょう。それは正直になっている証拠。苦しさや悲しさがどっと押し寄せてくるのは夜。忘れるのは昼。暦がもしかして太陰暦のままだったら、人間はもっと違う進化をしていたかも。もっと穏やかで繊細な世の中になっていたかも。眩しいと物事は良く見えないもんだ。自分は月が好きだ。太陽は熱すぎる、遠すぎる。月は無くても太陽ほどは影響はないけど、近くで表情を変えながらいくらかの影響を与えてくれる。決して過剰すぎない。そして決して裏側を見せない秘密主義な所もいい。月は人見知りをする。 2001/02/04 (sun) 反吐 最近ヘドのでそうな文章を読んだ。大多数の人にとってはこの文章もその仲間なんだろうけど。クソ野郎が愛を語りやがる、知ったかぶりして語りやがる。 自分は何も捨てる気が無いくせに、リスクの無い所にいるくせに。結局自分が泣きを見る事なんて絶対無いように、人の思いや心、時間までコントロールしてる。早く気づくべきだと思う。話は微妙に変わるけど、浮気する奴は一生治らないって話を聞いた。いろいろ考えて見るとそれはきっと正しい。浮気って事は覚悟が無いって事でしょ、それは治らないなって思う。誰かの心を壊す、傷つけるなら、それと同じだけの痛みを受けるべきだと思う、それが前向きな考えで無いとしても、自分はそうする。誰かの痛みを背負う事は結構難しいし、とても無意味になりがちだけれど。自分は浮気は許せないタイプ怒り心頭になるんじゃなくて、ウンザリしてしまう。根に持ってしまうような気がする。 まあ信じるって事はそれなりの覚悟も必要なのかも知れないけど。あー強くなりたい。 2001/02/03 (sat) それが普通 例えば精神的にギリギリのところにいるとする。でも時間が経つにつれていつの間にか慣れてくる、それが普通になってくる。時間や何かがギリギリの所から違う場所に連れてってくれるのではなくてマヒしてくる。。で、時々自分の状態を客観的に見る場面に出会うと、自分の危うさに自分でビビる。死という絶対的なものがあってそれから反対方向に逃げているのが生のような気がするって(北野)たけしが言ってたけど、まさにその通りだと思う。絶対的な変えようの無い事があったとして、それから逃げたり逆らったりしてみるのはある意味普通の事なのかも知れない。自分の弱さや情けなさを何とか無理矢理肯定したり、自分に意味や価値をもたせようとするのは馬鹿な事だけれど、納得というのはそんなところにしか無い訳だし、自己満足以外に幸せや充実なんて有り得ない。人はワガママなのだ。時事的なことに例えてみると線路に落ちた人を助けようとして死んでしまった人達も、助けないでいる自分に納得できないから危険も顧みなかったんだと思う。こんな言い方をすると反感買いそうだけれど。できるかどうかは別として自分もあんな死に方したいって思った。英雄的な死に方をしたいというのではなくて、潜在的な目的意識に駆られて、その代償が死というのは悪くないって思う。これも普通か、、。普通って何だ? 2001/02/01 (thu) DON'T TRUST OVER 30 誰に向けるでもなくこの言葉はずっと心のどっかにあったけど、後数年で若者が信じるなっていってた年になろうとしてる。いつの時代もきっと大人は子供を子ども扱いするし、子供はそんな大人たちに共感しない。痛みや喜びを共感できない人に仲間意識はもたない。それができるなら年齢は関係ない。そう思ってきた。例え十代でも三十代でもわかってない奴はわかってない。わかってない奴は、閉じたドアをこじ開けようとする。開いてるドアを探そうともしない。でも密かに"三十過ぎは信じるな”がプレッシャーになってきてるのは事実 大人になってりゃいいけど、ガキのままなのに信じてもらえないんじゃ、救われない(笑)。 |